★銀の星降る降る★

08年3月1日掲載








 夜というのは紅琶にとっては既に自分にとっての心の世界に常に存在し続けているようなものだった。
 だが彼にとっては常に存在しているこの夜の静寂はどちらかといえば必要の枠には入らず、かといって不必要の枠に入れることもない程度のものでしかない。 

 そして現実にある彼の世界の全ては手のひらに置かれた一ひらの羽よりも軽く稀薄な感触しか残さなかった。
 紅琶はベッドの上でじっとシ−ツを被りながらこの夜の闇よりも昏く憔悴の色を浮かべている。

 苛立ち。

 不安から来る刹那さ。

 もてあますような心の悲鳴に、紅琶はささくれだつ。
 今日で三日間…涼秋からの連絡が来ない。
 紅琶の感情を殺した瞳が夜の闇に苦く光る。

 なぜなのか……。

 なぜいつも、涼秋は長いこと自分を放っておくのか。

 思ってはいけない事のはずなのに考えずにはいられない。

 疑問に思っては、自分自身に辛さが増すはずなのに想わずにはいられないこの矛盾。

 理由を聞きたいのは自分と離れて一体何をしているか知りたいからじゃない。
 愛されているか不安だからだ。

 涼秋さえ要れば良い。

 けれど紅琶の望みは儚いほど叶わない。





桐里 琶のたった一つの願い。





 桐里 紅琶は妾の子供であり、母は彼が物心つく前に他界して父親の家に引き取られたが、 その頃から彼の辛酸を舐める生活が始まる。
 誰からもかえりみられることのない子供として孤独な日々を過ごし、半分血の繋がった父やまったく 血の繋がりの無い義理の家族達からの無機質なモノを見るかのような視線に耐え切れず、僅かでもいい、 カケラでもいい自分を生きた人として見て欲しくて本当の自分を殺して彼らが望むいい子を演じてきた。
 だがそれでも紅琶が過ごしてきた家族との思い出は全て暗い闇の底のように彩りの無い、思い出させることを 彼自身が拒むほどに冷たく寒く涙すら凍りつくほどであったのだ。

 紅琶にとって唯一つの極彩色の記憶は涼秋と過ごした唯一日の出来事だけ。

 それだけが彼を、彼の心を死なすことなく生かし続けたのだ。

 涼秋とは、紅琶が10歳の時に出会った。
 紅琶よりも4つ下の涼秋は初めて会ったときから特別な存在になる。
 人の顔色を見て、いい子の振りをするのばかり上手になっていった紅琶の偽りの姿を涼秋だけは騙される事なく、 初対面だったにも関わらずザックリとその仮面に切込みを入れて彼の真実の心をその瞳に映してくれた 唯一人の人だった。
 その出会いから直ぐに二人は何年も離れ離れになって日々を過ごす事になり、 その間に紅琶に降りかかった災難は数多い。
 中学を卒業して直ぐに家を出た紅琶は高校をアルバイトで働きながら通う。
 それまで取り繕っていた仮面をはがし、代わりに他人と関わる事を拒絶し、厭う冷たい表情が常に張り付いて 学校では友人を一人も持つ事は無かった。

 その胸の奥底に激しく人の温もりを求めながら…。

 ただ独りになるのが恐ろしく、紅琶は夜になると見ず知らずの他人との一夜だけの関係を持つ事を覚えたのだった。

 彼が21歳の頃に再び涼秋に出会うまでの何年もの間、それを繰り返し、繰り返し…紅琶は孤独なまま大人になる。





 涼秋は紅琶と離れて過ごした3日間の間、常に紅琶のことを気掛かりに想いながらも、 連絡を入れることを躊躇っていた。
 何年前になるのか…。
 まだお互い子供だった頃、昏い瞳をした紅琶がその時は必死に縋ってくるようなひたむきさで 自分を追い掛けてきた。
 紅琶が自分を慕っていたその理由を涼秋は未だにはっきりと覚えてはいない。何せまだ6歳の出来事であったし、 小さな涼秋にとってその頃の紅琶は決して良い印象を持たれてはいなかったというのもある。
 最初は視線すらも合わせようとはしなかった涼秋に、それでも自分の想いを伝えてくることをやめなかった少年。





 『涼秋!…っ涼秋!今何処にいるの?』

 3日ぶりに紅琶の携帯に連絡をいれると呼び出し音が鳴ったか鳴らなかったかの間に彼の悲鳴のように 自分の名前を呼ぶ声が響いた。
 そして涼秋は紅琶が自分が連絡を入れるのをずっと待っていた事…何も手につかずにただひたすら自分の帰りを待っていた事が目に浮かぶように理解出来てしまう。

 『涼秋っ何処にいる!?今すぐ迎えにいくからどこにいるのか教えて!!』

 紅琶の声が震えている…きっと携帯を持つその手すら震えている…。

 『すずあきぃ…っ』

 返事が無いのはもう自分のもとへ帰って来る気がないからではないのかという恐ろしさから紅琶の声は泣きそうに歪む。

 『頼むから切らないでっ…どこにいるのか教えてくれっ』

 最後の言葉で紅琶の声がくぐもる。震える息をどうにかして抑えようと口元に手を当てているのか、その所為で彼の息遣いがやけに大きく聞こえた。

 「…帰るから」

 耳に当てている携帯の電波の向こうで一瞬相手の呼吸が止まるのがわかる。

 「今から紅琶の部屋に帰るから…」

 だから待っていて…と涼秋は電話を切った。
 夜の街中を涼秋は駆ける。
 紅琶の存在は、そして彼の気持ちはまだ涼秋にとって大きすぎて持て余してしまう程激しく深い。
 けれどやはり涼秋にとって紅琶は目を背ける事が出来ない、何より紅琶の瞳が、声が、それを決してさせないのだ。

 「涼秋!」

 紅琶の住むマンションに辿りついくと、入り口の前でじっと待っている彼がいた。
 その途端抱き締めてきた腕。
 「涼秋、涼秋!」
 「紅琶…」
 また痩せた?
 女の私と変わらないほどに華奢な躰。
 もしかすればほどけそうな程の力でしか腕を絡めていないはずなのに、彼にとってはそれが涼秋に触れるときに できる最大限の力だと判っているから、なおさら突き放せないのかもしれない。
 紅琶は知っている。
 涼秋が決して自分に腕をまわさないことを。
 それをすべて知っていて彼は涼秋の傍にいる。

 「ただいま、紅琶」

 微笑めば、それだけで紅潮する紅琶にまた笑みを深めてしまう。
 可愛い人。
 本当に四歳年上なのかと思うほどあどけなく思わせる。
 「また食事をしなかったの?紅琶」
 涼秋がいなければ紅琶はまともな生活を一切しようとしない。
 返事は返ってこないがそれが肯定であることを知っていた。
 「涼秋…」

 見つめてきた瞳。

 艶めいた、濃密な視線。

 「涼秋…」

 なぜなのか…。

 自分でも解らない。

 なぜ自分は、この瞳をする紅琶を愛しているのか。

 受け入れられずにはいられない。

 涼秋が自分から視線を絡めてゆくと歓喜の輝が紅琶の瞳のなかで広がっていくのがわかる。

 くすぶっているような期待感。

 その影に潜めている淡い欲。

 そっと指を伸ばせば、彼の瞳は嬉しさに細められてゆく。

 頬に触れれば、愛しさに目を閉じた。

 最後に唇に微かに指で触れてしまうと微かに震える。

 なぜなのか…。

 この素直な存在に、なぜ惹かれずにはいられないのだろう…。

 どうしようもなく応えずにはいられない。

 「やっと来た…」

 薄い唇が、わずかに開かれる。

 「待ってたんだ」

 そんな言葉を自分に伝えるこの人が、愛しいのか…。

 それとも…そんな人だからこそなのか。

 紅琶の腕を解こうとした涼秋に、しかし彼は逆に力を込めてきた。

 (…どうしたの?)

 そう内心で聞いた涼秋の言葉を、きっと紅琶は理解しているはずなのに彼は視線を合わせるのが辛そうに彼女の肩に 顔を埋める。
 しかっりと抱き合ってみて、やはりな…と思う。
 随分と痩せた。
 涼秋の気掛かりは的中だった。彼女と離れたら紅琶はまともな生活は何一つしない。
 ただ涼秋の帰りを待ち続けながら、時折かかってくる彼女からの電話を期待して食事も摂らずにいる。
 きつく抱き締める紅琶に、けれどいつまでもこうしていては何も出来ないと、涼秋は自分の腕に力を込めて引き離す。

 「嫌だ!」

 途端、そう叫んで抵抗する。そんなときの紅琶の声は大抵いつも哀願だった。

 「……すずあき…俺の願い事…聞いてくれる?」

 「紅琶?」

 「…部屋に戻ったら…涼秋に、触れたい…涼秋と…したい…」

 部屋に戻れば、紅琶は戸惑ったように見つめてくる。
 二人だけの部屋。
 久しぶりの私室は何も変わってはいなかった。
 バサリと上着をソファの上に投げ、涼秋は紅琶に近づいて再び言った。

 「ただいま」

 自分から腕を伸ばして抱き締めれば、すぐに背中に温もりがあった。

 「おかえり」

 暖かい。

 こんな時の紅琶は幼さの強い少年のようにひどく優しくて嬉しそうな表情をする。
 涼秋が自分から抱き締めるのはこの部屋にいるときだけ。
 だから紅琶はこの部屋以外で涼秋と一緒にいると胸にいつも寂しさが過ぎった。

 「涼秋、お腹空いてない?」

 「うん少し」

 「何か作ろうか?」

 「うん」

 二人きりの時の紅琶は、それまでの昏い光りを無くして普通の青年そのもののようで、そしてあどけなく、 幸せそうに笑う。
 ダイニングはキッチンも一緒の設備になっており食事は紅琶が作ってくれている。
 簡単なものしか作れないが紅琶が作る料理はどれも温かみのある優しい味がした。
 二人で食事を終えて、食器を片付けてから涼秋はソファに腰掛ける。
 じっと見つめてきた瞳。
 黒い睫毛にふちどられた黒い瞳は潤うように滲んでおりその目元が僅かに熱をもっているのが涼秋からも はっきりと見てとれた。
 その表情は、さっきの続きをやり直したいと告げている。
 ソファに座っていた涼秋との距離を紅琶は背の高い自分の身をゆっくりと屈めて縮めてゆくと微かに唇を開く。
 薄い唇から白い歯が覗いている。
 首を僅かに傾げた拍子に揺れる、柔らかな黒い艶のある髪。
 ソファに置かれた繊細そうな骨ばって細く長い指。
 同じく細い体躯を表すうなじと、それに続くはっきりと窪んだ鎖骨。
 シャツの衿から見える薄い胸。
 その全てで、彼は主張している。
 出会った始めから、紅琶は涼秋が気を引く仕草を一つ一つ探した。
 どうすれば自分の方を見てくれるのか、どんなことをすれば自分に触れてくれるのか…。
 自分に惹かれてくれるのか…。
 初めて涼秋の素肌に触れた時に紅琶の中でその想いは一層強くなっていた。
 次第に肉欲の誘惑を伴って、紅琶は仕草の一つ一つを変え始めた。
 涼秋が自分に異性としての欲望を強く抱いてくれるように…。

 ゆっくりと涼秋は自分の視界を閉じる。

 口づけは不思議なほど柔らかな紅琶の薄い唇が静かに塞ぐように涼秋のふっくらとした唇と合わせたことで、 徐々に激しさを増した。
 戸惑うような動きは微塵もなく紅琶は当然のように歯列を開き、涼秋が舌を差し入れてくることを期待する。

 それに応えれば、微かな声が彼の唇から漏れる。

 目を閉じていても涼秋には判った。

 満たされた瞳で喜びを感じているだろう彼の表情。

 欲望を伴った愛情を注いでくる視線。

 こんな時の紅琶は綺めいている。

 ひどく綺麗だと思わずにはいられなくて…受け入れてしまう。

 「はぁ……っ…ふっ」

 恋人の思うままに鳴かされる。

 真っ白なシーツの上で、なお白磁のような涼秋の肌が揺れた。
 まだ僅かに未発達の部分を残した涼秋の体を紅琶は自在に追い上げていく。
 僅かに汗ばんだ長い髪を焦れたように振り乱し、涼秋の胸は荒い呼吸に激しく上下していた。
 ふと、涼秋は紅琶を覗き込む。
 本当に男性だろうか?という疑問が湧いてしまうほど紅琶の上気した顔は紅色よりむしろ薄薔薇色のようだ。
 見つめられていることに気がついた紅琶は、何?と問い掛けるように潤みながら見つめ返す。
 幾度となく目の前に惜し気もなく紅琶は涼秋にその身体を曝し、そして自分もまた注ぐような視線を今でもしていると 涼秋は思った。
 そう思いながら、指で敏感な部分を愛撫して、下肢の最も熱い箇所に触れられる度に、その追い立てるような動きと、追い求めるような息遣いにやはり彼が異性であると実感した。

 「ああぁっ…あっ…ふ…」

 切なげな嬌声に胸が締め付けられるようだと紅琶は想う。

 自分は涼秋に愛されているという歓びに泣きそうになる。

 紅琶が長い指を奥へと呑み込ませてゆく。

 堪えることをしないままに零れ落ちてゆく甘い声。

 こんなにも切ない声で涼秋が鳴いている…。

 掻き毟られるくらい…耳に届く鳴き声は迫りくる。

 まるで紅琶に聞かせているように止め所なく発する声。

 初めて涼秋に触れたとき、彼女は途中で躊躇うようにその場から逃げ出した。

 驚愕と悲哀に歪めたあの時の紅琶の表情を涼秋は今でも忘れられないほどに覚えている。



 涼秋ぃ−−−−!



 涼秋、どうしてだっ−−−−?



 振り乱れたままで叫び、部屋で独り取り残されたまま引き裂くような声で叫んでいるあの声を涼秋は遠くで聞いていた。

 「あっ…紅琶っく、れは…そこっ…そこが…」

 訴えてくる涼秋の声。
 呑み込まれている指が内壁に締め付けられた。
 どこが感じてしまうのか余すとこなく教える。
 下肢から最奥に貫かれることに快楽を感じることを、涼秋は紅琶に教えられた。
 そして最初に最奥に触れたとき、瞬く間に胸にこごっていた氷が溶き解れていく様に、見惚れていた紅琶がいた。

 「あっ…あんっ!あっあっあ…あぁ…」

 呑み込んだ指が3つになった頃、涼秋の声が切羽詰まって痙攣しはじめる。

 撫でるような傾斜をした肩や、筋肉のまるで出ていない脚が小刻みに震えていた。

 涼秋自身が一体どんな愛され方をすれば喜ぶのかを、紅琶は彼女に一つ一つ教えていった。

 「ね…っもう…紅琶っもう…」

 張り詰めた空気のなかで横目で見つめてくる涼秋の濡れた瞳が縋るようだ。
 紅琶だけが開かせ、綻ばせた身体。
 少しずつ、見つけだしていった。
 恋人の全身からじんわりと流れおちていく汗を見て、伸び上がって紅琶は涼秋のこめかみに口づける。
 途端、嬉しさに目を細めて涙に歪んでゆく顔があった。

 泣き笑いに崩れた涼秋の表情が、紅琶にとっては何より綺麗だと思う。
 静かな動きで、濡れた音を室内に響かせる。
 夜の空気さえ震わせそうなその声は、次第に涙声が交じりはじめ、紅琶に孤独ではないのだという事を伝えてくれる。

 だから紅琶はそれに応えてゆく。

 ゆっくりと涼秋の中に熱く、涙を流す自分の勃ちあがったものを沈める。

目元を真っ赤にしながら濡れそぼっている涼秋の瞳が潤み、伝い落ちた激情の雫が頬を零れ落ちていく。 唇は薄く開き、唾液が口の端を伝った。
 ズッと引き抜くように動かし、また奥へと差し入れる。
 徐々に声色に混ぜられてゆく悦びに溢れた音色。
 抜き差しを可能にするギリギリの距離で最奥への愛撫を繰り返す。
 ……甘い疼きが脳まで届く。

 こんなにも素直に応えてくれる相手がいる。

 愛撫の一つ一つを涼秋に加えれば、それは確かに意味を持った。

 求めれば応えてくれる存在があるから。

 敏感に感じてくれる、この恋人が愛しい。

 胸までも赤く染めて喘ぐ涼秋は、全身で倖せだと紅琶に訴えてくれる。

 だからこのまま…このままずっと止めないでと哀願する瞳。

 高みまで追い詰められた瞬間。
 一瞬二人の息がとまって、次に大きく胸をあえがせながら激しく呼吸を繰り返す。
 それがしばらく続き、次に穏やかな息遣いが互いの唇から聞こえた頃…。

 「涼秋」

 腕を伸ばして、じゃれあうように引き寄せる。

 ただ心寄せあわせる。

 涼秋への愛しさだけ胸に抱きながら眠る倖せを感じて紅琶は微笑んだ。





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