兄と会っていたこの日も、涼秋が紅琶のマンションに訪れると彼は「いらっしゃい」と穏やかに笑い、 彼女を部屋に上がらせた。 最初に上がった時は涼秋を閉口させたこの部屋も今は紅琶が定期的に綺麗に片付けていおり、 新たに買ったと思われる優しい色合いのクッションやダイニング用のラグが増えている。 紅琶は最初に涼秋と約束したように直ぐに彼女の為のカップや食器を買い揃えた。 どれも涼秋に似合うと思う物ばかりで揃えたものだが、それはとても彼女自身が好ましいと思う色や形をしており、今ではお気に入りだ。 「今日は遅くなってゴメンなさい…ここに来る前にカフェで沢山話していたら遅く…」 「誰と?」 何気なく言った涼秋の一言に、意外なほど硬質な声が返る。 ソファに鞄を置こうとしていた涼秋は、その声に自然に彼のほうを振り返ったが、 そこには真っ直ぐに見つめる強い眼差しがあった。 紅琶の表情から笑みがないのは涼秋が初めて彼に会って以来かもしれない。 無意識に涼秋の声が先程よりも小さくなる。 「今日、約束していたの…兄と…」 (涼秋の兄…藤崎 幸也…) 幸也のことを考えると紅琶はいつも苦い思いを胸に抱く。 初めて涼秋と会った日にも幸也は大勢の大人たちの前で堂々として、柔らない表情の裏に彼らへの侮蔑を抱きながら笑っていたのを紅琶は覚えている。 紅琶には幸也の裏の表情がはっきりと見えた。 幸也が、紅琶が家族の前で必死に隠している陰鬱な気持ちを見抜いたように。 そして何より紅琶を苛立たせたのは、幸也の傍で涼秋が無防備に笑う姿だった。 綺麗な涼秋。 可愛い涼秋。 素直な涼秋。 何も知らない涼秋。 そして自分の負の部分を隠して涼秋の傍にいる幸也。 それに紅琶は苛立つ。 何よりも幸也を見つめる涼秋の視線。 誰よりも大切なものを見つめる視線。 あの眼差しが欲しい。 自分にあんな視線を向けてもらえたら…特別に見てもらえたら。 けれど紅琶にはそれが儚い願いであることにも気づいていた。 涼秋は幸也のあの思慮深い視線や懐深い物腰と、どこまでも見守っていてくれるような包み込む態度に信頼を寄せている。 例えそれが幸也のほんの一部の面であっても。 自分は幸也とは違う。 愛すればどこまでも追い掛けることでしか表わせない。 子供の紅琶にとってそれは辛い現実だった。 涼秋が求めるようなものが自分には何一つ備わってはいない。 紅琶にはそれが何より哀しかった。 「涼秋…」 呼ばれたときの声の、どこか艶のある響きにドキリと涼秋の鼓動が跳ねる。 ただ名前を呼ばれただけなのに、自分の意志に反して指一つ思い通りに出来なくなる。 紅琶の、僅かに眉を寄せたり、薄い唇を少しだけ開いたりする仕草や、自分を覗き込むようにして見つめてくる瞳の全てに惹きつけられた。 ずるい…と涼秋は内心で呟く。 何時の間に紅琶はこんな仕草を身につけたのか。 この半年の内に紅琶は涼秋の気を引く術を知り尽くしていた。 (私は…紅琶さんの事…まだ知らない事がいっぱいあるのに…) 涼秋は自分を見つめる紅琶の目に確かな恋慕の情がまざまざと映し出されていることに気がつく。 今までこんな目で自分を見つめる人間を涼秋は知らない。 彼女が知っているのは幸也が与えてくれるような穏やかで優しく、 包み込んでくれる様な大きな愛だけだった。 他人からこんなにも激しく想われるのがたまらなく恐く、そして甘く、抗い難い糸のように涼秋を縛る。 涼秋は逡巡した。 このままここにいるか、帰ってしまうか…。 紅琶はゆっくりと涼秋へと近づく。彼の髪がその動作にあわせてサラサラと揺れた。 そして涼秋の直ぐ目の前まで来ると静かにそっとその片頬に手を添えたが、瞬きを忘れたように 彼女はただ見つめるしか出来ない。 「俺の事…好き?」 こんな声にも心動かされる。 どこか上擦り、甘く甘く囁くような声。 言葉を紡ぐ時も紅琶はタイミングを見誤らない。 この時、この情況を自分から導きだす手段を巧みに選ぶ。 涼秋はもう自分の気持ちを呑み込むことが出来ない。 「……好き」 涼秋がそう言った時の紅琶の表情…。 手に入れた。 やっとその一欠けらの言葉を手に入れた。 どんなにどんなに待ち望んでいただろうこの一言。 その時みるみるうちに紅琶の目元から耳にかけてが薄く赤みを帯びる。 自然に身体が動いた。 かすめるような口づけを紅琶は涼秋の唇に落とす。 触れるか触れないかの微妙な触合いの後すぐに離れようとした涼秋を紅琶の腕が捕まえる。 「涼秋…っ」 けれど涼秋は紅琶の腕を振り解いて、ただ何も考えられなくなり玄関に置いてあった靴を無造作に掴むとそのまま部屋を飛び出す。 「涼秋ぃ…!」 紅琶の声にも足を止める事はなかた。 「涼秋、どうしてだっ…!?」 縋るような声の悲痛な響きに涼秋は駆け出しながら、一度だけ紅琶を振り返る。 驚愕と悲哀に歪めた表情。 靴下のままで一気にエレベーターの中まで走った涼秋に紅琶は追いつけなかった。 誰も乗っていなかったエレベーターの中で涼秋は顔を覆う。 (……思い出した) それまで霧がかってはっきりと思い出せなかった記憶。 (…そうだった…桐里の家で一緒に遊んだ男の子がいた…) その子は同じ桐里の家の子から暴力を振るわれて今にも気を失ってしまいそうになっており、それを見た自分は近くにあった園芸用のスコップを思い切り紅琶を殴ったり蹴ったりする事に夢中になっていた子の足に叩きつけたのだ。 (待って!) 涼秋の後を追いかけて来た男の子。 あの時の声が先ほどの紅琶の声と重なる。 まるで見失う事を恐れるような…たった一つのものが失われてしまうのを恐れるような声。 (君の名前は?) 名前を聞くだけで、あんなにも緊張していた。 「…そうだった…あの子が…紅琶…さ、ん…」 あの後ふたりで一緒に桐里の家から抜け出して色んなところへと遊びに出た。 「…たった一日だけだったけど…楽しかった…」 エレベーターが下へと降りていく間、涼秋は隅っこにしゃがみ込んで泣いた。 そして1階へと辿りつくと開かれたエレベーターの前に、息を切らして立っている紅琶を見つける。 「…くれ、は…さん」 驚いて涼秋は目を見開いたが、紅琶が駆け込むようにエレベーターの室内に飛び込んで その腕の中に抱き締めてくると呼吸さえ一瞬忘れた。 身動きでいない彼女の耳に囁きが届く。 「なにも言わないで…聞くのが怖いから…」 エレベーターの扉がゆっくりと閉まる。 二人きりの室内で紅琶の腕の中に、その胸に思い切り抱き締められて涼秋は自分の鼓動が跳ね上がっていくのを自覚した。 「涼秋はなにもわかってないんだ」 「……?」 「君が俺を好きだと言った…俺にはそれしか本当なんて無い」 「………」 「俺には君しかいないって君は知らないんだ」 紅琶の声があまりにも悲しげで、涼秋は彼の背に腕を回す。 抱き締めれば倍の力で抱き返す腕。 身体の震えが、胸にまで響いてくる。 発せられた声は尚震えて耳に届いた。 「こんな風に…」 涼秋には紅琶の表情は見る事は出来なかったが、彼が泣いているように思えた。 「こんな風に君に抱き締められたかった」 「紅琶…」 「会いたかった。会いたかった…それだけだった」 「うん」 「もうずっと前から好きだったんだ」 「うん」 「涼秋をほんの少しの間でもいいから見つめていられる時間だけを望んでいた…」 「うん」 「でももう…それだけじゃ嫌なんだ」 「……」 「逃げたりしないで…」 「……」 「…涼秋は、俺のこと…好き?」 「…うん」 「俺は涼秋を愛している」 「うん…」 「俺のこと…愛して」 「うん」 エレベーターは再び上へ上へと昇ってゆく…。 涼秋はさっき飛び出したばかりの紅琶の部屋に戻ると、ソファの上に自分が置いた鞄を見つけて 苦笑いをした。 考え無しで、ただ紅琶と交わしたキスが無性に恥ずかしくなっただけなのだと彼に話すと、 その途端に紅琶のほうも恥ずかしげに目を伏せる。 「俺こそ、ゴメン…急ぎすぎて…」 謝りながらも紅琶はもう引き返せないところまで自分の気持ちが高まっていることを教えるように涼秋の首に絡んできた彼の腕は強引なくらい彼女の身体を強く引き寄せ、しっとりとした感触を与えながら唇を重ねてきた。 それに対して涼秋の身体は緊張に微動だにできない。 紅琶はひとしきり唇を合わせると一旦少し離れ、それからまた角度を変えて口づけてくる。 そんなことを何度も何度も繰り返しながら、静かにパタッと音が聞こえた。 紅琶の瞳を閉じていた目蓋から綺麗な綺麗な涙が零れ落ちていく音。 ふと唇を離した涼秋に、せがむようなキスで求めてくる紅琶を軽く唇を触れたことで鎮めて 彼女は涙を流すその目蓋に何度も口づける。 「涼秋…」 呟く声は愛されているという確信と否定されないという安心感。 「紅琶?」 「……待ってた…」 ずっとこの瞬間を待っていたのだと紅琶は訴え、まっすぐに視線が絡んだ。彼の瞳は不安気を滲ませ ながら涼秋の瞳を刺し貫くほどの真摯さで捉える。 「………」 反らしては…いけない。 今この人の視線から目を背けてはいけないと涼秋は感じる。 同時に逃げ出してはいけないと、涼秋のなかで叫ぶ声がした。 涼秋の手を紅琶がぎゅっと掴む。 「涼秋が好きだ」 空気を震わせて涼秋の耳に届いた声は、その瞳と同じに真っすぐで迷いが無くて、思わず涼秋は瞳を伏せる。 「涼秋が、好きだよ…涼秋と…したい…」 「紅琶…」 「言葉で逸らさないで…はぐらかすこともお願いだからしないで」 「私…」 紅琶は傷つくことを恐れない。 勇気を持つことに迷いも躊躇いもない。 涼秋への恋に彼はどこまでも素直だ。 そして自分は、傷つくことも傷つけることも恐れる。 「涼秋…」 涼秋の瞳を見ながら紅琶は静かに彼女の手を取る。 紅琶は涼秋が自分を好いているという事を知っている。 そして心は出会った頃から元より、これから自分の意思で身体を与えるのは涼秋だけだと誓っている。 そしてそんな自分を涼秋に受け入れて欲しいと強く願う。 「俺はずっと涼秋のものでいたい」 「私の?」 「そう」 微笑んだ紅琶に、けれど涼秋は内心で哀しげな顔をしていた。 ただひたすらに涼秋だけが全てだと語ってくれる程愛してくれる紅琶に、 涼秋はどう応えればいいのかその術(すべ)をよく知らない。 紅琶のことを愛している…彼が大切であるという事だけは涼秋の中でも真実だった。 「涼秋…俺が教えても、いい?…」 「紅琶?」 「俺が、涼秋のものでいられる方法…」 躊躇いがちに聞いてくる声がすでに熱っぽく色を帯びていて、涼秋ははっきりと紅琶を独り占めしたいと感じる。 (誰にも…渡したくない…) その気持ちが涼秋の胸の中ではっきりと形になり、彼女は自分からおずおずとだが 紅琶の薄い唇に自分の唇を重ねた。 「知りたい…紅琶を独り占めできる方法」 涼秋からその言葉を聞いた瞬間に紅琶は彼女の手を引いて寝室に導く。 その後は、涼秋は波にさらわれる様にただ紅琶に身を任せる事しか出来なかった。 艶のある濡れた声が響く。 これが自分の声かと思う程、唇から甘やかな声が発せられる度に涼秋は羞恥に唇を噛んで 堪えようとするが、それは紅琶の愛撫であっけなく崩れる。 すでに紅琶は何も身に着けてはいない姿でベッドの上の涼秋を組み敷く。 思うさま唇と舌で乳首を愛撫する。舌にくすぐったい感触がして、けれど愛撫する行為は激しくなっていく。そのたびに涼秋の綺麗な声が耳に届くのが心地よくてそっと甘噛みすると嗚咽のような嬌声が上がって、背が弓なりにしなった。 「く、れはっ」 途切れ途切れに紅琶の名前を呼んで、涼秋はおずおずと彼の手を取るとそのまま愛撫されていた方 とは反対側の乳首の上へ重ねさせた。 「ここも…」 言い終わる前に紅琶は涼秋の唇を塞ぐ。それから指で触れていた方の乳首に唇を寄せた。舌で 軽く触れてから強く吸い上げる。さっきまで愛撫していた方には指で挟んだり、 優しく転がして行為を続けた。 「んっ…んっ…」 堪えるような喘ぎ。それから切なそうに吐息を漏らす。 紅琶はずっと胸に愛撫を加えていたけれど、ふと細い首や鎖骨に視線が伸びてそこにも唇を寄せた。 涼秋はくすぐったそうに身を竦ませていたけれど、強く吸ったり舐めていると快感を感じている声が 混じりはじめる。 そのうちに紅琶は、腕の内側の柔らかな部分や、脇腹、指先に至まで紅琶は隈無く愛撫を与えていくと次第にどこが涼秋にとって敏感に感じる部分かがわかりはじめて、彼女が一層甘い声を発する箇所を執拗に攻めていった。 可愛い。 無防備に喘ぐ声も表情も仕草も感じ方も…全部が。 何度も何度も喘ぐ涼秋に深く口づける。 (涼秋のいい声が聞きたい…もっと感じて…綺麗なところ見せて。もっともっと…いい表情が見たい。) 愛を囁く程、涼秋の顔が紅く染まった。火照った目元には涙が滲んで、瞳が揺れている。愛している… と呟けば胸の辺りまで淡い紅に染まったのを見て、耳元に息がかかる程近づく。 「いいの?」 濡れた声を発した涼秋の耳たぶを甘噛みした。 「あっ…」 耳の後ろに口づけの痕を残して、もう一度さっきの愛撫した箇所を巡りながら下肢の方に少しずつ下りる。 脇腹を唇で辿って腰に到達した時、ゆっくりと涼秋の両膝に手をかけた。 すると紅琶が脚の間に納まれる様に自然と涼秋の膝が左右に広がっていく。 涼秋の脚と脚の間…付け根の部分はうっすらと紅く、熱く火照っている。実際に 触れれば驚くほどに熱い。 指を絡ませて、愛撫を始めると僅かに息を詰めて彼女は異物感に眉を寄せたが執拗にじっと 触れているうちに今までとは比べ様もない程に高く上擦った声が上る。 奥を指で押し撫でるような愛撫を加えると腰まで浮く程に涼秋の背がしなった。 少しずつほぐれてゆく涼秋の中を確かめるように動きながら紅琶は指の数を増やしていく。 「…やぁっ…ああぁぁ…っ」 部屋に響く嬌声が上がった時、愛撫を加えていた指先がぎゅっと締め付けられ、やがて弛緩する。 奥から溢れ出す温かな彼女の液体は紅琶の手の平を濡らし、息を切らしたように何度も 早い呼吸を繰り返している。 「平気?」 「…うん…」 涼秋の表情に紅琶への嫌悪や拒否がないとわかり、彼は嬉しそうに微笑む。 しばらく呼吸を整えている涼秋を待っていた紅琶が、彼女のもので濡れていた自分の手を引き寄せた。 「あっ…」 声を上げたのは涼秋のほう。 そのままその手を自分の唇にもっていき、紅琶は彼女のものを丹念に舐め取っていく。 「涼秋…」 腕を伸ばして抱き寄せてきた紅琶に、涼秋は腕を回す事で応える。 涼秋は足を持ち上げて膝裏を抱えられると、これから紅琶がなにをするのかに気づいてゆらゆらと瞳を揺らした。 「紅琶…」 「教えてもいい?俺がして欲しいこと」 紅琶の目が真摯に見つめてくる。 泣きそうなその瞳に、吸い寄せられるように顔を近づけた。 静かに唇を重ねあわせる。 静かに紅琶が涼秋のなかへと入っていく。 「んっ…ふぁっ…やっ…」 痛みと異物感に怯える涼秋の背中をなだめるように摩りながら、紅琶は少しずつ押し進んだ。 「ちゃんと慣らしていくから…壊れたりしないから…涼秋を俺で一杯にして」 「…でもっ…」 不安だった。 「……嫌?」 「…紅琶…」 紅琶は動くのをやめて不安げに涼秋を見ていた。 即座に涼秋は首を横に振る。 それに紅琶は嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑んだ。 紅琶が涼秋のなかを押し広げ、そしてゆっくりと彼女の中を満たす。 途端に、緊張したのかぎゅっときつく紅琶自身を涼秋の内部は締め付けてきた。 「…ふっ…く…」 柔らかな肉壁の感触に堪えきれずに紅琶の唇から上ずった声が漏れる。 もっと確かに涼秋のなかを感じたくて紅琶は動き出した。 「あっあっ…ああぁっ」 奥へと紅琶のものがあたるだけで、涼秋は激しく身をよじり、今まで与えられた事のない程の 快感をその一点から全身に巡らせ、喘ぐ。 紅琶はゆるゆると引き抜き、そしてまた深く入り込む。 濡れた音が絶え間なく寝室で響いた。 締め付ける時に内壁を紅琶自身が擦り、その刺激に耐えられずに涼秋が身をよじれば更に快感を煽った。 「…っぁ…くれはっ…もっと…ゆっくり…」 哀願にゆっくりと紅琶は抜き差しさせる。 気紛に深く内部まで挿入し、内壁を探り、かき回すように動かした。 「あっ…んあっ…は、んっ…あぁっ…」 一瞬息を呑み、次に悲鳴のように声が響く。 「ごめん…涼秋、辛い?」 問いに涼秋は微かに首を横に振る。 「へ…いき…」 震える息と共にもっと震えた声が届く。 「大丈夫?」 「ん…」 汗で張りついた黒髪の間…同じ色の睫に縁取られているその奥の瞳が泣きそうに潤んでいる。 紅琶は、涼秋の切な気なこの瞳がたまらなく好きだと感じた。 11年前もこの瞳が、紅琶に涼秋を愛させた。 何度も何度も繰り返し繰り返し、紅琶は涼秋の中を満たす。 荒い息が耳に聞える。 「くれは…は、私として…気持ちいい?…」 「ちゃんと…涼秋が感じさせてくれる…」 どうしようもなく嬉しくて紅琶は泣いた。 この行為全部を涼秋が受け入れてくれたと思っただけで嬉しかった。 (やっと手に入れた。) 一番欲しかった…一番綺麗な人。 (俺を愛してくれる…俺の涼秋) 内部でゆっくりと抜き差しされる動きに喘がされて、その行為が終わり、そ のまま涼秋が眠りについた後も、紅琶は彼女を抱き締めたまま離さなかった。 幾度も口づけを贈り、想いを綴る言葉を紡いだ。 紅琶が涼秋を、涼秋が紅琶を相手に恋を始められた倖せを。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 涼秋が目を覚ますと、既にあたりには良い匂いが漂っていた。 ベッドの上でしていたことを思い出し、しばらく恥ずかしさから動けなかったが何時までも裸のままの方がもっと心もとなくて涼秋は服を探す。 「あれっ…あれっ…服は?」 確か寝室の床の上にあるはずなのにと探すが一向に見つからない。 代わりに涼秋が見つけたのは綺麗にアイロンがけされた男物の寝巻きだった。 着れるものはそれしかなかったので涼秋はそれを身に着けてダイニングに出る。 「…目が覚めた?…涼秋…」 気恥ずかしく思いながら寝室を出た涼秋に声をかけた紅琶も、彼女に負けないくらい緊張していた。 「晩御飯…遅くなったけど、出来てるよ」 「紅琶、お料理が出来るのっ!」 彼が作ったご飯はどれも見事で、もしかすれば涼秋よりも上手かもしれない。 複雑な気持ちで答えを待っている涼秋に対して紅琶は言いにくそうにしばらく口ごもっていたがやがて静かに白状した。 「料理が作れるって涼秋が知ったら…もうここへ来てくれなくなるんじゃないかって…心配だったから…」 紅琶も伊達に中学を卒業してからずっと一人暮らしをしていた訳ではないらしい。 家事全般をこなす腕前は持っていたのだが、独りの寂しさに誰かれ構わず奔放な夜を過ごす様になっていった頃に次第に部屋に帰ってからのことが面倒になり、作曲の勉強や仕事に夢中になっていくと遂には炊飯器さえない生活をしていたのだった。 「それから…制服もちゃんとアイロンがけしておいた」 見れば部屋の壁には涼秋の制服がハンガーに掛けられており、皺一つ無い見事な仕上がりである。 最早目の前の恋人に生活力が無いなんて二度と口には出来ない。 「涼秋、お腹…空かない?」 涼秋の一挙一動に内心でびくびくしている紅琶が彼女を窺うように聞いてくる。 初めて食べた紅琶の料理は温かくて優しい味がした。 「美味しい」 涼秋が褒めると紅琶は破顔する。 「よかった」 「………あのね、紅琶…」 カタン、とお椀を置いて神妙な面持ちで何事か切り出す涼秋にビクリと紅琶の肩が揺れた。 もしかして、やはり今日のことを涼秋は後悔したのだろうかと不安が広がる。 (俺はなにも後悔なんてしてないのに) 涼秋の中では違ったのだろうか? しかし紅琶の不安をよそに妙にもじもじしながら涼秋が切り出したのはまったく別の事だった。 「…これからは時々、紅琶の作ったご飯も食べたいな…?」 照れながらそう語る涼秋に再び紅琶の気持ちは浮上する。 「…うん…いいよ、勿論…だから涼秋…俺からもお願いしたいんだけど…」 「ん、なぁに?」 「これからは…今よりも、もっと…会いに来て欲しい…」 涼秋の返事は「最初からそのつもりだったよ」という紅琶を喜ばせるには十分なものだった。 |