ヒノトリスタは王宮を中心に南には見習いのまだ幼い少年・少女達が暮らす学び舎と宿舎があり、 西に魔法士団の、東に魔法騎士団のそれぞれ施設がある。更に北にはその二つを結ぶ中央兵舎があった。 西と東の施設は共に名称が“魔法院”とされており、それぞれを区別する為に西を“サ・マウ”、東を“ル・テウ”と呼称する。 魔法騎士団の魔法院ル・テウのなかには上級騎士である響 更紗が管理する温室があり、彼は今日も欠かさず自分の育てている植物の世話にいそしんでいた。 極淡い金の髪は柔らかく、長く伸びてサラサラと彼の背を流れ、陽の下にあっても焼けることの無い体質なのか その肌はいつも白い。そして植物を扱うその手は男性にしては余りにも優しげなラインを描いた。 響 更紗という存在を構成する全てがそういった柔和であり繊細であり優しいもので出来ていると周りに思わせる。性格も温和で、 誰に対しても礼儀正しく、そして彼の気性を表しているかのような微笑みが常にあった。 そんな響であったので、同じ魔法騎士団の人間はなぜ彼のような者が自ら軍に身をおくのかと疑問に思っているのも無理はない。 東方魔術の才能があることや、他にも剣術や魔法において確かに響 更紗は抜きん出たものを持つ。 7つの魔法騎士団のうちの一つを任されても彼ならば十分にその役目を果たすだろう。本来ならもうとっくにその地位にいてもおかしくは無かった。 ヒノトリスタの軍は総大将をレアトリアスとして3つの魔法士団を束ねる大将と、7つの魔法騎士団を束ねる大将が各1名、 そしてそれぞれの軍団を指揮する中将がおり、更に軍団のなかの師団を指揮する少将、旅団を指揮する准将がいる。また上級騎士は連隊長の地位にいることが多い。 これはジャナスティアやブルーリンゲルンの軍においても基本は一緒だ。 響 更紗が今も上級騎士という地位にいるのは一重に彼自身に出世欲が無い為だ。 彼はひたすらに土を弄りながらつい先ほどのことを思い出す。 (師団長への昇格…ですか) (そうだ、本来なら軍団長の任についていてもおかしくない功績がすでにお前にはある。俺はもとよりこの第一魔法騎士団の面々はお前の少将への昇進に反対するものはおらん) (…お言葉ですが軍団長閣下…私はこのとおり上級騎士どまりの男です…そのような者が旅団長殿や連隊長殿を差し置いて一個師団をお預かりすることはどうぞ…ご容赦ください) 響が所属する第一魔法騎士団の軍団長室での出来事であった。 騎士団長は齢(よわい)そろそろ60をさしかかろうとしているがまだ若輩の頃から現国王と共に戦ってきた老将である。眼光鋭く、 皺の寄った目尻が切れ上がり厳しいが思慮深さに溢れた眼差しを向ける彼は響の頑なな態度に蓄えた髭を無造作に撫でつけながら チラリと同席している師団長と旅団長を見た。 すると軍団長とそう年の変わらない師団長が静かに口を開く。 (のう響 更紗よ、お前はこれまでの昇進を何度も断ってきたがそろそろワシらもお前の我が侭を見てみぬ振りはできんぞ?) (師団長殿…) (お前は優しい、そして強い…騎士としても人としてもな。そして魔法の才に溢れ何よりも若く将来がある。このまま上級騎士としてお前を埋もれさせるのは惜しいのだ) (そろそろ新しい風を呼び込みたいのじゃよ) (旅団長殿…) (周りの者達も感じておろうがアツィヤフレオ陛下が王位をレアトリアス殿下に継承される時期が近い。若い者達の時代が来ようとしておる…何時までも老兵がでしゃばったところで恥さらしなだけよ) (何をおっしゃいますっこれまで国を支えられてこられたのは皆様方ではないですか) (で、あるからこそ我らも次の時代を支えるに足る者に後を任せたいのだ) (……それは……) (本音を言えばお前にはすぐにでも軍団長の地位に就いてもらいたいのじゃが、過去において4階級特進をしたものがおらんので仕方なく3階級特進に抑えたワシらの気持ちも考えてくれ。着実にお前が出世しておればこんな面倒はせんでも良かったのだぞ?) (レアトリアス殿下に老兵の世話ばかりさせるのは気の毒だと思わんか?なぁ響よ) (次の王の下に有能な者が多くいてくれるのならばワシらも安心して死んでゆけるというものじゃ) 軍団長が発した冗談に響が目をむいた。 (軍団長殿っ縁起でもないことをおっしゃらないでくださいっ) 普段決して声を荒立てることをしない響が戦事以外で初めて見せた感情の起伏だったのだが、老練な三人の年寄りは笑うだけである。 しかしひとしきり笑い終えると軍団長は厳しい顔つきに変わった。 (ファーガーンに納められている器に変事ありという話がある。それがどういう意味かはお前にも重々わかるはずじゃ、響 更紗よ) 土弄りをしていた響の手が何時の間にか止まっていた。 「……器の加護が揺らげばそれは直接世界の安定を崩す…軍団長殿は早急に若い者達へと世代交代を進めることでレアル殿下が王位継承された時の、 殿下中心の基盤を固めておきたいとお考えなのだ」 屈んでいる為に、響の金糸のような髪が肩から零れ落ちてその表情を隠している。 そこへ温室に誰かが入ってくる気配を感じて響は身を起こした。 「こんにちは、響 更紗。入ってもいい?」 入り口に立っていたのは響よりも若い青年。癖のある淡い栗色の髪と同じ色の琥珀色の瞳で、眼鏡をかけている。 「火髪さま…どうぞ入って下さい」 響の顔にあの透明な微笑が戻り、火髪 弥勒を温室の中へと招く。 弥勒は響の招きに眼鏡の奥の琥珀色の双眸を細めてにっこりと笑った。年の頃は15・6に見える彼だが、愛嬌のある笑顔が更に少年らしさを強める。 「フィアゼイル神殿で会って以来ですね。セキレイ殿下はお元気ですか?」 ヒノトリスタ現国王アツィヤフレオには三人の息子がおり、長男はレアトリアス、次男はカミユ、三男はセキレイと言う。この国の直系の 王族男子はまず百パーセントといっていい確率でオッド・アイで生まれており、アツィヤフレオは無論、この三兄弟も左右の目の色が違う。言い換えれば、 オッド・アイであることはヒノトリスタの直系王族男子の証でもあるのだ。 そして三男セキレイの御付武官であるのが響 更紗であった。 「セキレイ殿下の神官位授与の際にはご同席頂き有難うございます」 「いいえ、お礼なんていりません。僕はただあそこに逃げ込んでいただけなので」 ふわりと癖のある髪が少しだけ揺れる。 少年らしく至るところにまだ幼さを潜ませた容姿であるはずなのに、なぜだか弥勒の表情だけが酷く大人びていてまるで先ほどまで会話していた人たちと向き合っているみたいだと響に感じさせた。 「それはまた穏やかでない、誰かに追われてでもいるのですか?」 召喚の才を持つものはヒノトリスタでも一握りしかいない。 尚且つ弥勒ほどに巧みに術を使えるものは皆無であったし、元来その才を開花するまでに至らずに終わってしまう者も少なくは無いのだ。 故に火髪 弥勒はヒノトリスタの要人として度々招かれる事があり、軍の施設へもある程度の出入りが自由にされている。 「とても面倒な相手の恨みを買ってしまったので古い知り合いに色々と頼みごとをしにこの国へと来たんですが、残念ながら会えませんでした」 弥勒の微笑みは響の透明でほのかな暖かさの帯びたものとは違い、どこか翳りを帯びて人の心の感情を揺り動かす。 「ふふっ響 更紗…あなたは考えた事がありますか?ファーガーンの聖なる器…この世に5種それぞれたった一匹しかいないドラゴン…地の底の女王…精霊達…彼らが自らを犠牲にし、そして何を犠牲にしているか…そして犠牲を繰り返す世界のなかで僕らに何が出来るのかを…」 「ひ、かみ様…?」 「クロウェンの巫女は気がついている…響 更紗、あなたは?召喚の資質を示すあなたの“理性の目”は既にフェイルンの異変を感じているはずだ」 柔らかな声音のはずなのに弥勒の言葉はまるで響の逃げ場を奪うかのような圧迫感を与えた。そして響は“理性の目”という言葉に一瞬だが肩を揺らす。 確かに召喚を使う者がもつ才を理性の目≠ニ呼ぶが響のそれはいまだ完全に目覚める気配はなかった。 ただ静かに夢を微睡むように曖昧にだけそれは彼に教える。 人外の存在が抱く喜びや悲しみ…痛みや愛を。 「僕はもう行きます…さようなら響 更紗…」 そう別れを告げると弥勒は背を向けて早々に立ち去ってゆく。 それは弥勒自身が言っていた様にまるで逃げるように、まるで長くは同じ場所にはいられないのだというかのように。 「本当はとっくに逃げ場なんてないのかもしれない」 少年が漏らした呟きを聞くものは誰もいない。 その華奢な肩に細い腕に薄い手の平に自分の精一杯抱え込めるものを抱きながら追い詰められていてもそれでも自分はもがくしかないのだと前に進む。 そしてそれは響 更紗も同じだった。 響は出世だとか競争というある意味で闘争心の強いものにはまったく関心の無い男だ。けれど彼は守るべきもののためには戦う男でもある。 (レアトリアス殿下や織姫はもう既に覚悟を決めているのに自分だけが何時までも遅れをとっているわけにはいかない。) 前に進むしかないのはこの男も同じなのだ。 「いかなければ…」 温室を出るために動いた響の脚は、しかし数歩進んだだけで止まる。 入り口の近くに背の高い男が立っていた。 男は無言のままそこに立ち尽くす響の方へと一歩一歩近づいてゆく。 響の背中をザッと音を立てるかのように寒気が走る。瞬きを忘れ、目の前の男の気配をこんなに近くに感じるまでまったく気がつかなかったことに驚愕した。 男は深い緑色の髪で、濃い遮光眼鏡をかけている。 立ち姿に無骨さは微塵もなくどこか気品さえ感じられた。 (だけど…見つめてくる視線は野性的だ…) それは獣の獰猛さというよりも猛禽のように鋭い。 「ここは軍の者以外立ち入り禁止です。どうやって入ってきました?」 「……ここに男が一人来なかったか?」 響の問いをまったく受け入れずに背の高い男は低く滑らかな声で逆に問うてくる。 足早に去っていった弥勒の後姿が響の脳裏を過ぎった。 「………」 何も答えてはいけないと響の唇は引き結ばれたが、背の高い男は何かを心得たようだった。 「そうか、来たのか」 一言そう呟くと、これ以上この場所に用は無いとばかりに彼は無言のまま踵を返して去ってゆく。 「待て!」 響はその後姿に静止するよう声をかけたが彼はどんどん遠く離れる。深い緑の髪の色と酷似した腰までのマントを ゆらゆらと揺らしながら入り口から出て行った男の後を追って温室を出たが、響の視界に男の姿が映ることは無かった。 自分は幻を見たのだろうかと疑問に思うほどにそこにはもうあの鋭い眼差しを持つ男の気配がない。 響のその考えを肯定するかのように風が乾いた空気を寄せて、彼の滝のように真っ直ぐな金糸の髪をなびかせ、巻き上げた。 |