08年3月9日アップ








 幼い頃から…まだ流桜の小さな手が柔らかく紅葉のように可愛らしかった頃から彼女がよく聞かされてきた事がある。

 数百年前にいらした伝説の女王カレリオット様の加護がきっと自分にはあるのだと。

 闇の魔人が世界を混沌へと導き、人々に争いと苦難と疑心を与えていた頃にその女王は生まれ、 人知を超える力をもって闇の魔人を打ち倒したという。
 またカレリオットの夫君はブルーリンゲルンでもっとも美しいサフェンディル山の化身である精霊エルリィヒであり、彼はカレリオットと添うことを誓った際に精霊の証である御印を封じ、人となった。最愛の妻がこの世を去った後にエルリィヒは再びサフェンディル山の頂きで精霊に戻り今も尚亡き妻を偲んでいるのだといわれる。

 流桜の手が少し大きくなり、錬金術を学び始めた頃になると彼女は更に多くの伝説の女王のまさに 偉大な伝承の数々を知った。
 彼女はいつまでも若々しく活気に溢れ、壮年になっても尚その溌剌とした生命の輝きは失われず、 錬金術の技術を大きく発展させ飛行船の開発は彼女の代になって完成されて今のブルーリンゲルンの 豊かな暮らしに繋がっている。
 そして女王が崩御して幾代の後に中央の大陸の3国が動乱の時代を迎えた時、人々を平和に導いたのはカレリオットが錬金術の技術に関して最盛期を誇った頃に創りだされた3つの聖なる器が3人の英雄に力を与えたからだという。

 流桜が大人へと近づき、錬金術に長けてゆくうちに次第に彼女の手が柔らかさを潜めて、いかついものへと変わった頃になると疑問に思うようになった。

 (私は本当にあの偉大な女王の加護などという大それたものを受けているのだろうか?)

 戴冠式の日に一度だけ見たカレリオットの肖像画は伝説の女王の30代の頃の姿を留めており、 派手な事はお嫌いな性格だったのだろう、華美な装飾のまったく無い簡素な額縁に縁どられたなかに 描かれた女性は気取らない表情で、しかし何もかも自分の腹の中に善事も悪事も丸ごと納めて尚不敵に笑う。
 その姿には偉大な女王そのままの強い威厳が滲み出ていた。

 こんなにも素晴らしい…こんなにも大きな女王の…私は末裔なのだ。


 幼い頃は内気で引っ込み思案だった流桜の、内に繊細なものを沢山秘めた心にはいつもそんなカレリオットへの畏怖と 同時に淡い恋の如く憧れやときめきがあり、こんなところでも彼女は年上好みな自分を発揮している。

 「ああ…カレリオット様…」

 一度見ただけの絵姿が忘れられず、思い出すだけで溜息と感嘆が漏れ、流桜はその名を口にした。
 「あら陛下…そのように夢うつつの目をされて一体どこのどなたを想っていらっしゃるのですか?ランに聞かせてくださいませ?」
 隣にいたランが微笑みながら流桜の口元にその細くしたおやかな指先をもってゆき、 容赦なくつねりあげる。
 どうしたことだろう…彼女はいつものように愛らしくコロコロと笑っているはずなのに、 良人を見つめる蒼い双眸がまったく笑っていない。
 「りゃ…りゃん…ふぃたひっ」
 執務室に二人きりで邪魔な大臣もおらず、ほのぼのと甘い雰囲気の中で執務をしていた流桜だったがファーガーンの賢者達の言葉を思い出していた。

 「それがどうしてカレリオット様のことに繋がってゆくのです?」

 目をすがめて流桜を見るランの眼差しがまだ僅かに険を帯びている。流桜はひりひりする頬をさすりながら事情を説明した。

 「ファーガーンに納められている地上に残された聖なる器は、カレリオット様がお創りになったということは知っているよね?」

 「はい、一つは天に一つは地上に一つは地の底にそれぞれ三英雄が納められたのだというお話は有名です」

 東の大陸がまだ旧名アガタダルタと呼ばれていた頃、最も強大な帝国であったコルツァーヌが 駆け足のような速さで崩壊を始めていた。それは帝国支配下の中央の大陸にも影響を及ぼし、 世界は動乱の時代を迎えたが神々は人間が創り上げた器に聖なる加護を与えてそれを選ばれし三人に与えたのだという。
 世界を平和に導いた三英雄の一人、レイガルドの持つ器は地上に、二人目の英雄アトレイユの器は天に、そして最後の英雄である朱理の器は地の底へと納められた。

 「賢者達は三つの器のうち、一つに異変が起こっているかもしれないと話した」

 流桜の言葉にランはそれまでの浮かれた気分を鎮めて真顔になる。

 「器の一つに異変があれば、他の二つにも影響が?」

 「そうよ…西の大陸ツェナの最西端にある賢者の塔ファーガーンから発せられる器の加護によりこれまでソルメキア大陸の三つの国が北の魔山からの襲撃なく平穏に暮らせていたし、それは凶暴なドランゴンの亜種が多い東の大陸フェイルンも同じ事…けれど器に異変があればその加護も弱まる」

 「だとすれば、最初に悪い影響が出てくるのは東のフェイルン…」

 「クロウェンの末裔である巫女もこの事には気がついているはず…ラン、私は一度サフェンディル山の精霊に会ってみようと思うの」

 「エルリィヒ様に?」

 「精霊エルリィヒは女王カレリオットの夫君で、彼の本体はブルーリンゲルンで最も神聖な山として現在では不可侵とされている霊山サフェンディル山…かの精霊はカレリオット様と添うために人となったけれど、最愛の妻の死後は再び精霊に戻り、亡き妻を偲びながら誰とも会わず、山にも結界を張って近寄らせないという」

 「そうです、サフェンディル山を登る道はエルリィヒ様が結界を張っているために見つけることが出来ず、麓から先は決していくことが出来ないと言われているのにどうやって?」

 「僕も一緒に行きますよ?姉上」

 「テイン様!」

 何時の間にそこにいたのか、流桜の弟テインが二人の前にいた。

 「精霊エルリィヒは元から人嫌いで、人間が山に入るのを拒んで余り近寄らせなかったけど、女王カレリオットだけはその頂上まで辿りつく事が出来たというから、直系の王家の人間にならサフェンディル山は道を開いてくれるかもしれない」

 カレリオットは生来特別な資質の持ち主で、第六感といわれる感覚が飛びぬけて冴えており、 また場合によっては特定の人間の気配を察知できたと言われている。
 他にも様々な能力に恵まれていたがこれがカレリオットが神々の寵児であると言われる所以にも なっている。実際に精霊を伴侶とした彼女の王家の血筋には過去に同じように神聖な存在と婚姻を結んだ記録があった。
 そして彼女のその特質は子孫である流桜やテインにも受け継がれていた。
 テインは植物の心だとか、時には物に対してさえ意思を通わすことができ、人の心に対しては敏感なほどよく気がつく。
 流桜のほうは不思議なことに彼女が花や木を育てると決して枯れることがなく、ずっと手に持っていてもそれは同じだった。

 「お前は相変わらずこういうことに関しては鼻が利く」
 呆れたように流桜はテインを見る。

 「ふふっ当たり前だよ、王宮じゃ錬金術の研究以外で楽しい事なんて何も無いし、それに僕らの遠いご先祖様に会えるなんて素敵じゃない?」

 「けれどお二人とも、どうやってエルリィヒ様に会いに行くのですか?」

 ランが問うと、流桜が懐から小さな袋を取り出す。
 袋の中身を手の平の上に置いて見せたが、それはとても古びたピアス。
 石はくすんだ淡青色だった。
 「カレリオット様の遺品よ」

 「でもこのピアスは一つしかありませんね…もう片方は?」

 「見つからなかったわ…けれど遺品にはカレリオット様のお力が宿っているといわれる。もしかしたらサフェンディル山の道がわかるかもしれない…今夜、人目をしのんで山まで行ってみましょう…ラン、貴女も一緒に」

 「私も、ですか?」

 「ご先祖様に会えたなら、良人である貴女を紹介したい」

 ふわりと微笑みながら流桜がそう話すとランの頬が赤みを帯びる。

 「じゃあ、本日深夜に僕は城の裏門で待っているから」

 手はずが決まるとテインはこれ以上二人の邪魔はしないからと言って執務室を出た。
 時刻はもう直ぐ夕方。
 サフェンディル山の向こうへと黄金の光が吸い込まれるようにして傾いていく。もう少し時間が過ぎればそれは朱い輝きになり、 めくるめく光芒を放つのだろう。
 ブルーリンゲルンのどの場所にいても背の高い彼の山はその姿を見つけることが出来た。貴重な鉱石を内包するサフェンディル山はその山景の美しさでも他に類を見ない。

 そしてサフェンディル山の真上に月が浮かぶ頃、城の裏門で落ち合った三人はかの山の麓まで足を運んだ。
 真っ暗な森の中は虫の音さえも聞こえない。
 「本当に…道は見つかるのでしょうか?」
 ソルメキア大陸の三国が帝国の支配から開放されて50年、国として復興してまだ十数年という日の浅さで、復興後にこの山に王族の人間が再び足を踏み入れたのは流桜達が初めてかもしれなかった。

 「…!…姉上、カレリオット様の遺品から…」

 「!」

 流桜の懐に仕舞っておいた遺品から淡い光りが放たれている。
 その光りはやがて小さく一つにまとまり、流桜の懐から飛び出すとゆらゆらと森の中を漂いだした。
 闇の向こうで、小さな光が呼ぶ。
 まるでついて来なさいというように。

 「…行きましょう…手を繋いで、ラン」

 流桜が手を差し出すとランはその手をぎゅっと握りしめた。
 三人は光りが目指す方を歩く。
 霧はその濃度を増し、視界がだんだんと狭まる。
 辺りは既に月の光りも届かない闇。
 それでも三人の心に恐れはなく、ただそこにある光だけを目指して歩いた。
 不思議なことに奥に進むとそれまで闇でしかなかったのがゆっくりと白んで淡い光が差してくる。
 やがて三人の視界に白い光りしか見えなくなると、一瞬にして深い森の景色は失われて、 白い岩肌と、真上にかかる大きな月とが現れた。
 「…ここはっ」
 冷たく刺さるような強い風に負けずに目を凝らせば、空が降ってきそうに近い。
 三人を導いた小さな光りは、速度を増して急ぐようにひゅんひゅんと飛び回って少し向こうにある古びた神殿へと向かう。
 「…ここは、山の頂上?」
 テインが神殿の方を見れば、光りが飛んでいったその奥からだんだんと人影が近づいてくるのが見えた。
 とても背の高い…とても美しい姿の男だ。
 青味がかった極淡い銀の髪は磨き上げた鉱石のように透明感があり、やや中世的だが整った素顔と、くすんだ淡青色の瞳。

 そして秀麗な額には精霊の証である御印。

 小さな光りは男性の姿を見つけるとまるで歓喜に震えるようにくるくると彼の周りを飛び回る。
 それに応えるように大きくて骨ばった力強い手が光りをいとおしむように触れた。

 「わたしにカレリオットの心のカケラを届けてくれたのはそなた達か?」

 低く滑らかな声。

 「名はなんという?」

 まるで宝石がかち合って鳴るような澄んだ響きの声に促されて流桜は口を開いた。
 「ブルーリンゲルン国王、流桜にございます…お初にお目にかかる、精霊エルリィヒ様」
 真っ直ぐに見つめてくる鳶色の瞳の少女に、エルリィヒは微笑んだ。
 「そなたの懐にあるカレリオットの遺品をこちらに」
 流桜が古びたピアスをエルリィヒに手渡すと、彼は遥かな思い出と愛の記憶に淡青色の瞳を細め、 どこか泣いてしまいそうな表情をする。
 「これはわたしが妻に贈った品」

 「遺品はそれひとつしかなく、もう片方はみつけられませんでした」

 申し訳なく話す流桜にエルリィヒは首を振る。それだけで風が澄んだ音を立てた。
 「よいのだ、これは元々左耳にだけ贈ったもの…ソルメキア大陸では昔、良人に自分の瞳の色と 同じ色の装飾品を贈ることが習慣としてあり、必ず左側にだけ身に着けていた…」
 そう話すエルリィヒの左耳にはアメジストの石が輝く。
 「そなた達の名は?亜麻色の髪の少年と瞳に空の色を持つ少女よ」

 「ブルーリンゲルン国王の弟、テインにございます」

 「初めまして精霊エルリィヒ様、ブルーリンゲルン国王陛下のお傍におりますランと申します」

 ランが礼儀正しく品のある仕草でお辞儀をするとその隣に流桜が立つ。

 「私の良人にございます」

 誇らしくエルリィヒに紹介する流桜をランは歓喜の表情で見つめた。

 「そうか、わたし達の子孫がこうして良人を得て仲睦まじいのは行幸。…しかし、そなた達が今宵ここへ来たのは何もカレリオットの遺品を届けにきただけではあるまい…妻を偲び、独りこうしているわたしにも世の中の異変は手に取るようにわかる」

 「エルリィヒ様、聖なる器とは一体どのようなものなのでしょうか?ファーガーンで我ら三国の国王が奉納の儀に際して目にするのは聖なる器を納めた神聖銀の箱のみで中を確かめたことはございません…しかし聖なる器の加護によりソルメキア大陸もフェイルン大陸も魔物の脅威を受けずに平穏に暮らせておりますのは真実。器に異変あれば世界も人々の心も平和ではいられません」

 流桜の心を知り、エルリィヒは静かに頷く。

 「三つの器は確かに我が妻が創り上げたもの、しかしそれは元々三英雄の為に存在したのではなく…」

 何事かを語ろうとエルリィヒが唇を動かそうと試みるが、彼は額の御印に手を当てて苦悶した。うっすらと汗が滲み、 秀麗な眉が潜められる。
 「…すまぬ…これ以上は語る事が出来ぬ…妻との思い出は…同時に私に妻を失わせた痛みを呼び起こす…」
 精霊は本来、心の傷により命を落としてしまうほどに繊細でとても儚い存在。
 エルリィヒの苦痛に閉じられた双眸から透明な涙の雫が一つ二つと流れては地面へと落ち、冷えた風によって それはあっという間に乾いて消えた。
 そんな彼を労わるように小さな光りがその周りをゆっくりと回っている。

 「だがこうして妻の遺品を届けてくれたお前達に心を尽くさぬわけにはいかぬ…遠い昔、聖なる器を創った妻が生きていた時代からを知る者達に会うがいい…遥かな時代から生きる者たちは我ら精霊とエルフ、神々とドラゴン…そして地の底の女王と聖なる獣たち…そのなかでも稀に人々と共に生きることを選んだ者がいる」

 「その方々はどちらに?」

 「一人はジャナスティアに…しかし彼の者は決して過去を語ろうとはしまい…もう一人はヒノトリスタにいるが現在は眠りについている…いま一人は東の大陸フェイルン…クロウェンの巫女の傍にいるプラチナ・ドラゴン」

 「クロウェンの巫女…そしてプラチナ・ドラゴン…」

 「せめてもの協力としてわたしの知る神々にそなた達の加護を願おう」

 「ありがとうございます…エルリィヒ様」

 「よいのだ…わたしとカレリオットの血を受け継ぐ子供達にこうして会えたことがわたしの慰めになったのだから」

 月下に立つ美しい精霊エルリィヒは、夜が明ければ消えてしまう真上の月のように優しく、そして儚く微笑んだのだった。





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