まだ織姫とレアトリアスが10歳くらいの年だった頃から二人はお互い、いつも傍にいることがあたりまえになっていた。 ほかの同い年くらいの年頃の子供に混じって勉学も武術も二人して常に誰にも負けた事がなく、また周りからの信頼も高かったが、それとは裏腹に嫉妬を抱かれる事もよくあった。 顔に目が眩むくらいの強い衝撃を食らって織姫は思わずよろめいて膝を突く。 ぼやけた視界がクリアになると、地面には自分の口の端から零れた血がぽつぽつと落ちていた。 自分を取り囲む沢山の人間の嘲笑と妬みの視線。 彼等は明らかに織姫よりも腕っ節が強く、背が高かった。 騎士団のなかでも織姫とレアトリアスが年下過ぎるものあったが、今彼を囲む人間たちの顔には騎士としての誇りも自覚も何もなく、ただ私怨だけが浮んでいる。 「…やめや…こんなことしても、何もならんで…」 小さな身体は自分よりもよっぽど年上の少年たちの真ん中で余計に小柄に映った。 正面からだけでなく後からも拳が振ってきても織姫は決して自分から反撃はしないまま避けようとするだけに留める。 彼が今戦っていたのは、己を多人数で襲っている者達を憎もうとする自分自身だった。 群青色の髪の間から覗く赤茶色の目は真っ直ぐに前だけを見る。 「…いま…」 殴っても蹴られても決して殴り返さないまま、けれど織姫は倒れたままではいずに、絶対に起き上がっては自分の目の前に立っている少年たちを見る。 「…今…あんたらの振るってるその拳が…ただ俺よりも力が強いゆうだけで振るってるのやとしたら、俺を殴った瞬間に己の胸にどんな気持ちが沸いたかよく思い返してみぃ…ただ間違いなく勝てるだけの勝負で… 優越感や、相手に対してザマミロゆう気持ちが沸いただけとしたら…それを思った自分に対して何も思う事がないんか…?」 喋っている最中も口の中がざりざりして砂利がとても不快な気分にさせたし、裂傷も負っているから相当沁みて痛かったが、織姫の顔にはそんな苦痛よりも怒りが勝り、そして怒りを厳しさで抑えようと必死になっている自分がいた。 「織姫っ!」 それでなくても体中が悲鳴を上げている織姫の耳に辛うじて聞こえた声。 明らかに自分を助けるために近づいてくるその声の主に向かって織姫は「来たらあかんっ」と叫んだ。 取り囲んでいた少年たちが近づいてくるその声の主に向かって同じように拳を振るおうとしたのを目にした瞬間、 今度こそ織姫は腕を伸ばした。 伸ばして…年上の少年たちの誰かの腕を掴んだ。 恐ろしいくらいに強い眼差しをして。 「響に…手を出してみぃ…あんたらのその自分勝手な力で俺の友達傷つけたら… これからも俺が今見ているような目であんたらは他人から見られるようになってまう…」 許さない…という目で。 真っ直ぐに相手を見た織姫を横から誰かが殴り、響はそんな織姫をかばおうとして 最後には二人して起き上がれなくなるまで殴られた。 少年たちがいなくなって、半分気を失っているような状態でなんとか身体を起こして織姫は隣で倒れている響の腕を掴んで起き上がらせる。 「ありがとな…怪我、半分こしてくれて…お前、こういうのホントに苦手やのに」 砂利と土ぼこりと怪我で酷く汚れた響の顔は…なのにとても綺麗だった。 響は織姫の笑顔を見て同じく酷い有様になっている顔を笑みで崩す。 「ちょっとまってくださいね、いま怪我を治癒しますから…」 本当はちょっとでも動かすと痛みがやってくるくらいなのを堪えて響は静かに呪文を詠唱する。 淡い光が怪我を負う箇所を見る間に癒していくその光景を見ながら織姫はどこか遣る瀬無いという表情を浮かべた。 「織姫?」 どうかしたのかと尋ねる響に織姫はぽつりと呟く。 「魔法ゆうんは便利やな…怪我もあっという間に治してなんでもないようにしてくれる…せやけど、自分の心のなかで思った気持ちは見ない振りは出来てもなかった事にはできん…」 「…織姫」 「……レアトリアスには…今日の事は言わんといてくれへんやろか…」 「…織姫、貴方は…」 「響の魔法はホンマによう効くわ!俺、回復魔法はようできんから凄いって感心してるんやで。ありがとな…もう大丈夫や」 響が何を言おうとしたのか、何に気づいたのか織姫はわかっていたけれど言わせなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「…………ホンマにあの頃はガキやったなぁ」 昔の事を思い出してうんざりした様な顔をしながら織姫は城の中庭の東屋でぼんやりと外を眺めながら腰掛けている。 なんでまたそんな昔話を今更思い返すのかといえば、答えは簡単その時自分をボコにしてくれた 連中とばったり顔をあわせたからだ。 幾つもの軍に分かれているヒノトリスタの騎士団で今ではもう全軍の指揮を取るレアトリアスとその補佐である自分は、はっきり言うと騎士達ひとりひとりの顔全部を思えてもいられなくて新しい顔を覚えるたびに古い記憶は重要ではない限り仕舞われる運命にあったのだが、ふいにその連中とすれ違った時に彼等がなんともいえないような気まずい顔をしたので「自分なにかしたっけか?」と怪訝に思ったのだがしばらく考えて「ああ、あの時のかぁ」と気がついた。 「自分の気持ちはなかった事には出来ん…か、俺も随分感傷に浸ってたで…」 なんでも出来るレアトリアス。 自分よりも数歩前を行くレアトリアス。 そんな彼に対して織姫も羨望を禁じえなかった。 昏い気持ちを持つ自分をどう進ませたいのかをあの頃から既に織姫はずっと考えていて、 あの時集団で殴られた瞬間に殻が割れたように答えが出た。 彼等に言った言葉はむしろ己への戒め。 身勝手な感情でレアトリアスを傷つけることなんてご免だ。 思ってしまった気持ちを見ない振りは出来はしても、なかった事には出来ないから、だから織姫はじゃあその後どうすればいいのかを考えるようにした。 レアトリアスはレアトリアスだし、自分は自分だ。 羨むよりも同じ目線で彼が何を目指しているのかを同じように見たい。 「あいつは昔から努力家やったんやなぁ」 わかっていたはずだったのに、結構見落としていたりもした親友の歯を食いしばって影で努力している 姿を織姫は改めて見つめて大馬鹿野郎な自分も一緒に見つめなおして、もう一度鍛えなおそうと決意した。 それまで劣等感を必死で呑み込んでいた自分をやめて、レアトリアスに剣で負けても魔法で追いつかなかった時も 目の前で悔しがって、負けなかった時は自分を褒めた。 二人で得たものにはお互いに喜びも分かち合った。 だが織姫もまだまだ青春真っ只中なお年頃でそんな自分改造計画な過去を振り返ってみても余りの恥ずかしさに体中がむず痒くなる。 「あ〜っ!やめや、やめっ!!!こっぱずかしくてやってられんわっ」 まるで自分の頭上に走馬灯がスクリーンのように映し出されて、それを必死に払うようにパタパタと手で払いながら織姫はおもむろにそう叫んだ。 「……なにをやってるんだお前」 半ば呆れたような声が隣からすることに織姫はビックリして視線を向ける。 そこには焦げ茶色の髪の隙間から色違いの双眸に、面白いものを見たというような光りを浮かべながらこちらを見ているレアトリアスがいた。 「なんや…近くにいるならいるで声くらいかけてぇな…」 バツが悪そうに拗ねた口調でボソリと呟く織姫に今度こそレアトリアスは声を立てて笑う。 「声ならかけたぞ。呼んでも気づかなかったのはお前だ」 すると織姫は益々居場所がないようにそっぽを向いた。 「…………陛下に報告は済んだんか?」 自分と父親のげにも下らない壮絶な親子喧嘩のあと、レアトリアスは一人でアツィヤフレオ国王へと 報告をしにいっていたのだが、それを聞くと彼はスッとそれまでの笑顔を消す。 その変化に、織姫は大体の事が予想できた。 「やっぱり言われたんか…陛下から」 フェルデズを掌握しろと。 「ああ」 重々しく頷いてレアトリアスはけれど次の瞬間には笑みを浮かべた。 「言われるまでもなかったことだ、フェルデズは必ず掌握する」 「そうやな」 「プレッシャーに押し潰されるような弱いタマやないもないもんな、お前」と織姫はレアトリアスを見てどこか嬉しそうに笑う。 「二人で何か楽しい事の相談ですか?」 少し離れた場所から長い髪を風になびかせて響がこちらに歩いてくるのが見える。 「また子供ちゃん達のお世話してたん?」 織姫の言う“子供ちゃん達”とは響が魔法院のなかに設けている自分専用の温室で育てている植物のことだ。 そこで彼は数多くの様々な植物を栽培しているのだが、世話をしている時の響は本当に生き生きとしていて、 育てている植物を大切にしているのだとわかる。 見ると響の手は小さな切り傷が幾つも出来ていた。 「なんや、棘のあるやつ触る時くらい手袋せんと…」 織姫の言葉に響は優しく笑うと静かに首を振った。 「直に手で触れて初めて彼らの気持ちがわかるんです。今どんな気持ちで、なにをして欲しいのかを気づいて、 与えてあげる…その為には手袋などを通して触れては意味がないんです」 穏やかな…多少おっとりした響の植物への愛情が溢れた笑顔に織姫は「そっか…」と納得してみせると「じゃ、手ぇ貸して」と 傷だらけの彼の手を取った。 暖かな淡い光がその瞬間響の手を包み込んで彼の傷を瞬く間に癒す。 呪文をまったく詠唱せずに治癒の魔法を発動させた織姫に響は変わらずに優しい笑顔を向けていた。 「上手くなりましたね、回復魔法」 その言葉に織姫はニンマリと笑って見せて「そうやろっ!」と得意げに言った。 今も織姫の瞳は真っ直ぐに前を見る。 |